長岡是好日

2017.07.08

いま何合目?


子どものころはよく父に連れられて山に登った。
いつになったら山頂につくのか、今どの辺にいるのか。
父は休憩のたびに「今はこの辺で」と地図を広げて説明してくれたが、息を切らして痺れた頭の私にはなかなかよく分からない。
そしてまた「さて」と立ち上がって歩き出す父の背中に黙々と付いていくのだけれど、周りが自分の息と地面を踏みしめる音だけになって、ふと幼心にも「なぜ山に登っているのか」と訝しむこともあったりして。

山の気候は変わりやすい。
登山口に立った時に晴天でも、途中で雨に降られたり霧に包まれたり、尾根に出た時には雷に追われることもある。
いきなり強い日差しにさらされて汗だくになることもある。
高い山になるほどその変化は目まぐるしく(安定しているときもある)、その都度レインジャケットを着たり脱いだり、これを楽しめるくらいでないと登山は相当に辛いものになる。

「なぜ山に登るのか」と聞くのは幼いことからなんとなく野暮な事なのだと、どこで覚えたのか分かっているつもりだったので、これまで父にも聞いたことはないし話したこともないのだけれど。
それを人生に例える話を聞くことは頻繁にある。
よくある話。
つまり人生山あり谷ありということで、楽あれば苦ありということだ。確かにそうだなと思う。

年を重ねて私もすっかり山好きになってしまった。
何が良いのか、一言で説明するのは難しい。例えば、風景が美しい(こともある)。山道ですれ違う人との出会いや会話が楽しい。
山頂で食べる飯はなぜか本当にうまい。
高い山になればなるほど、“平場(ひらば)”では出会うことのできない体験が待っている。
「そこに山があるから」という境地には私はたどり着けていないが、「そこに行けば何が待っているかも」という漠然とした期待に、山はいつも応えてくれた。

先日7月1日は富士山の山開きがあった。
標高3,776メートルの日本最高峰は5合目から登るのが定番だが、それでも往復距離8.5キロ(富士宮ルート)、所要時間10時間の長丁場だ。人生に例えるわけではないが急ぎ過ぎは事故の元。
時間を変えてルートを変えればまた違った景色を望むこともできる。
焦りは禁物だ。
自分とよく相談して歩を進めよう。

皆さんは今、何合目?