長岡是好日

2017.05.12

パッチワーク


ゴールデンウィークの田園風景。
苗を積んだ軽トラックや田植え機、コンバインが走り回り、あぜ道にも手伝いの人達の群れが点々と見える。
一年で最も田んぼが賑わう季節だ。

我が家も一家総出、親戚も集まって忙しくも楽しい休みとなった。

最近に限った話ではないが、農業の現場では高齢化が著しい。
大昔の“手植え”のころと比べれば、機械化によって相当に時短・効率的に作業をできるようにはなっているが、それを超えて農の営みを続けるが難しい状況が深刻化している。

新しい苗を育てるために水を張った水田には、青空や遠くの山並みが映り込み、見渡す限り巨大な鏡のようで本当に美しい。
しかし近年、この水鏡にポツポツと穴が開いているように見える風景をよく見かけるようになった。

田植えの合間にその“穴”を見にいった。青々とした苗がたなびく水田と水田に挟まれて、草藪(やぶ)と化したかつての水田があった。

水田には表札こそ掲げられていないが、もちろん一枚一枚に所有者がおり、住宅地図のようなものが田んぼの住人の頭には入っていて、指をさせば「誰々の田んぼ」と即座に返答してもらえる。
藪と化した田んぼの持ち主は、存命だが高齢で手伝いにくる親族もおらず云々という事らしい。
かたや我が家は、あぜ道で手持ち無沙汰になるほど親類や仲間が集まるところもあるというのに。
歯がゆい。

農業の現場がほとんど手作業だった時代の話を、この時期になると繰り返し祖父母やその手伝いをしていた叔父から聞かされる。
その昔は、田植えや稲刈りとなれば一家総出はもちろん親戚や近所同士でも大いに協力し合って、地域ぐるみで作業するのが当たり前だった。
手伝いに来てもらえば作業の終わりに食事や酒をふるまい、こちらから手伝いに呼ばれていけばお返しをという具合で、地域は大きな和に包まれていた。

時代とともに私たちが手放してしまった関係性が、この利便性の時代に再び必要になっている。
田園のパッチワークが静かに、ありありと伝えてくれる。