長岡是好日

2016.12.12

寺泊の異人


早いもので今年も残すところ、あとひと月。
年の最後のこの月は「しわす」と呼ばれる。
語源は諸説あり、「師も走り回るような忙しさ」の月というのが良く聞かれる。
師走という字は全くの当て字という説もあるという。
ただ、現代的な意味合いとしては一番しっくりくる。

先日の休みは寺泊地区に車を走らせた。
鮮魚店が軒を連ねる魚の市場通り、通称「アメ横」。
中越地域のご出身の方なら馴染みの場所だろう。
普段はもとより年末年始は新鮮な魚介を求める多くの人で賑わう。
休みに入った家族と共に、帰省してきた親戚や友人を引き連れて、賑わいの中を歩くのは楽しいものだ。
汐風に吹かれながら頬張る浜焼きは格別にうまい。

好物の鯖とサザエの串、むきたての生ガキを平らげてから、ふと思いついてアメ横を後にした。
海岸沿いに402号線を新潟方面に10分ほど進むと、弥彦山スカイラインの入り口に差し掛かる。
目的地は、真言宗智山派の古刹「西生寺(さいしょうじ)」だ。
日本最古の「即身仏(そくしんぶつ)」が安置されていることで有名で、ご存知の方も多いかもしれない。

即身仏とは、簡単に行ってしまうと「ミイラ」のことで、この世の救済を願って自らミイラになった人の遺骸である。
現在、全国に20体弱が現存。
特に東北地方や新潟県に多く、近世の厳しい生活環境や人々の信心を今に伝えている。
多くは江戸時代のものだが、西生寺の「弘智法印即身仏(こうちほういんそくしんぶつ)」はそれより300年ほど古い鎌倉時代のものだ。

古くから多くの文人が西生寺の即身仏を訪ねており、その著述にはしばしば弘智法印の名前が挙げられる。
松尾芭蕉の弟子・曾良(そら)の「曾良旅日記」、雪国の生活を綴って江戸時代にベストセラーとなった、鈴木牧之の「北越雪譜」などがある。
あの良寛さんも半年ほど西生寺に滞在し、たびたび弘智法印を参ったという。

さて、「世のため人のため」という言葉を今でも聞くことができるが、即身仏はなんとも壮絶だ。
しかも、明治時代にこうした行為が「自殺」と解釈され、法律で禁止されるまで即身仏になろうとするお坊さんが結構いたという。
ほんの百数十年前のことである。

即身仏になる道筋は、「木食修行(もくじきしゅぎょう)」と「土中入定(どちゅうにゅうじょう)」の二段階のステップがある。
「入定」とはつまり死ぬことである。まずは、野草や木の実などを食べて命をつなぎ、経を読んだり瞑想したりと厳しい修行に打ち込んでいく。
この段階で脂肪や筋肉、水分が落ちることでミイラとなっても腐敗しにくい身体になっていく。
次に地中に築いた石室に入り断食。
鐘を鳴らし、読経しながら息絶える。
その後3年余り経った後に掘り起こすと、そこには座した体勢のままミイラになった故人がいるのだ。

ところで、弘智法印こと音松(おとまつ)さんは千葉県匝瑳市のご出身であられる。
幼少期に地元のお寺に出家、その後長らく住職を務めている。
しかし、50代で寺を去り、修行と伝道の旅に出た。
その期間、なんと7年間。
日本各地に教えを説いて巡り、30もの寺を建立。
現在も北海道や青森県、東京都などに氏が創設した寺が現存している。
結構なすごい人である。
真言宗の総本山である高野山(和歌山県)でも修行し、そこで即身仏となる決心。
そのときすでに60歳。最後にたどりついたのが越後の土地だった。
「師走」なんてもんじゃない奔走っぷりである。

辞世の句は
『岩坂の主(あるじ)は誰ぞと人問わば 墨絵に書きし松風の音』
墨絵に書かれた風に揺れる松。
その松を揺らした風こそ、岩坂(現在の西生寺近くの地名)の主であり、描かれた松は目に見えても風の音までは実際に見ることができない。
あるようで、ない。
ないようで、ある。
いるようで、いない。
いないようで、いる。

なるほど。スケールが大きい。寺泊に宇宙をみた。

600年にわたって守り継がれてきた弘智法印。
彼をはじめ、即身仏となった人々が全て同じ目的・理由で即身仏になったのかというとそうではなく、様々な思想的背景があったに違いない。
しかし、いずれにしてもその眼差しは、内向きにも外向きにも私たちの生きるこの世界に向けられている。

心の芯というか軸の持ちようで自分も世界も変えられるような、そんな気がした。

良いお年をお迎え下さい。


長岡より。