長岡是好日

2019.07.02

いただきものと恩返し

 

 

 

改元に始まって春の大型連休、田植え、地元の祭りが二つ。思えば今年も早半年が過ぎてしまっていて、今回もまたあっという間の感が強い。
「今度とお化けは見たことがない」といつかどこかで聞いた言葉を思い出す。お化けらしきものに出逢ったことはあるがこれは置いておいて、自分が求める暇や機会は往々にして自然と降っては来ない。
しかし、時間にまつわる諺が昔から、世界各地にあるように、これが実に難しい。

近ごろ、母方の祖父の調子が芳しくない。
高齢なので(というのも変だが)心配というより気掛かりだ。見舞いに行くたび、たくさんの時間が流れたのだなと思う。
家によって違うとは思うが、私の場合この母方の祖父と祖母に会いに行くとなれば盆と正月、その他何かあれば。と言う具合で年に数回の頻度。子どものころはまだもう少し多く通っていたが、学校や友人との予定、進学や仕事など様々な理由が生まれてくるから仕方ない。

否、仕方なくはない。と、今強く思う。
大学進学と上京と、それとほぼ同時に同居していた祖父母が急逝し、心のふるさとというか精神的な拠り所の大きな部分を失ったような気持ちにさいなまれていた私にとって、母方とはいえ、共に過ごした時間は多くないとはいえ、家族の昔を知って生きる祖父母の存在は非常に大きなものだった。惜陰の念に堪えない。目的を据えて時間をつくらねば。

いつかの日、ある人は戒めを込めて私に「Time is Life」という言葉を教えてくれた。
周囲のさまざまな人たちの時間を受け取りながら、私たちはようやく日々を過ごしていけるのだと。幼いころは殊に、多くの人に時間を費やしてもらいながら育ってきたのだろうと思う。
ことあるごとに「恩返しを」と、頭に浮かぶがその前に、注いでもらったのはおそらく無償の愛だった。そんな想いの感触が、この上なく大切で愛おしく、その近くにいたいと思った私は地元にUターンする道を選んだ。

帰郷して丸5年が過ぎ、帰ってきて良かったと今日も噛み締めている。


時間を惜しんで会いたい人はいますか。