長岡是好日

2019.03.09

何者になれるのか

あまりにも雪が少なくて怖いくらいだね。
祖父母や親が言うような台詞を友人が言うので、自分もそう思いつつ「お前いくつだよ」と突っ込みを入れてみる。
だってそうじゃんと返されて私たち自身、若いとは言えない歳になったと自覚する。


最近は日差しも温かく、今年の冬は早めに終わりを迎えそうだ。
人は得てして突然の変化には対応できないもので、食卓には例年通り煮菜(にな)が上がる。
軟らかく煮た体菜(たいな)の塩気、我が家の場合は油を少し垂らして仕上げるのだが、おかずにもってこい。
東京にいたころに恋しくなった味の一つ。
いくらでも食べてしまう。
箸を進めながらふと思う。
自分をはじめ僕らの世代も煮菜を作るようになるんだろうか。
何食わぬ顔で自然と、郷土の味を食卓に並べる母親もまた、その昔は”今をときめく”若者だったはず。
いつの間にふるさとの味なんて手掛けるようになったのだろう。
年相応で自然とそうなるのか、自分にはまだ分からない。


5年前の今ごろは、ひそかに進めていた転職活動が望んだ形で結末を迎え、いよいよ帰郷に向けて仕事の整理や大学時代から親しくしていた友人への報告等々に勤しむ日々。 念願が叶った喜びと次の生活への不安、都会を離れる寂しさが織り交ざって浮足立っていた。 ○○は何になるの?と友人や同期に聞かれたら、それを答えるのだけれど何故か自分でも釈然としなかった。

人には内緒にしているが、自分で自分の写真を撮る癖と言うか習慣がある。 これを「自撮り」と呼ぶと少し気持ち悪いので、人に明かすときは自画像を描くような気持ちで撮ると説明している。 年を重ねて見返したら面白そうというのが一番の動機で、撮ったらそのまましまい込んでしまう。 自分が何者になれるのか、なれないのか。 分からずに悶々として日々を送りながら、それでもそれなりに能天気に過ごしてもいる今を、将来の自分はどう振り返るだろう。

雪解けの早い今年。 あらためて自分の人生を考えてみることにした。