長岡是好日

2018.05.25

法要の年


八月の某日に法事をやるから空けておいてくれと父が言うので、スマホのカレンダーを手繰った。
祖父の十三回忌。
翌年の祖母の分も一緒にやるということで、時の流れに驚く。

私自身三十路を過ぎ、父母も還暦を迎える。
法事に集まる親族も、祖父母のつながりといえば皆高齢と言って差し支えない歳になっている。
思えばここ十数年でまた鬼籍に入る人もぽつぽつと出てきている。
非常に不謹慎な話だが、今回の法要が顔を合わせる最後の機会になる人もいるかもしれないな。
遠くに住む人ならなおさら・・。
と、父から8月の予定を聞かれて思った。

周りが何を考えているかは分からないが、 最近は少し縁遠かった親戚同士で遊びに行ったり来てもらったり、 一緒に田植えをしたり旅行に行ったりと懐かしい顔ぶれと時間を共にする機会が増えた。
楽しげに話す初老の親族を見ていると、何か縋(すが)るようなものを感じたりもするのだが、 これは昔を知らない者の早合点だと自分で整理を付けている。
後先短いとか限られた時間を云々とか、深刻に捉えていては日々をまともに過ごせない。
単に子どもが育ったり巣立ったり、また定年を迎えたりと各々の生活もまた変わり、 私の知らない昔を取り戻しているのだろうと考える。

しかしながら時間はやはり有限だったりする。
私たち一人ひとりの持ち時間。
日々刻刻と時間は過ぎて、新年度が始まってから2か月近く、今年が始まってから早半年が過ぎようとしている。
どうにか時間を味方につけて、こつこつと人生を積み上げたい。
塵も積もれば山となる。