別分野に方向転換 父の電話きっかけに 野本昌弘(のもと まさひろ)さん

Uターンのきっかけは何ですか

東京での就職を決め、これから働き始めるという矢先に父から「いずれ家業を継いでほしい」と電話が掛ってきたことがきっかけです。
それまで跡継ぎの話をしたこともなく、地元に帰ることも考えていなかったので驚きましたし、
東京での就職を決め、これから働き始めるという矢先に父から「いずれ家業を継いでほしい」と電話が掛ってきたことがきっかけです。
それまで跡継ぎの話をしたこともなく、地元に帰ることも考えていなかったので困惑しましたし、東京でやっていく人生設計をしていたので一旦は断りました。
早く経験を積んで成長したいと、就職先には大学4年の秋くらいから職場に出させてもらっていました。
そんな中、月に一度は父から電話が掛ってくる。
何度も父と話すうちに、そういえば父も地元で頑張っているなと。
その仕事ぶりを近くで見てみたい。
そんな気持ちが段々と湧いてきました。
同じ地元長岡から東京に出て働いていた親友にも、相談しましたね。
東京での夢や目標を語り合ったその友人も、家業を継ぐために方向転換して地元に戻ったのですが、彼が言った「悩んでも最後は家族を選ぶ」という言葉が胸に刺さりましたね。
5月に帰省した際に両親と話し、ほぼ腹が決まりました。その時、両親には言わなかったものの、「これからどうやって今後を歩んでいこうか」という気持ちに切り替わりました。

Uターン前の不安、躊躇などはありましたか

決心こそしたものの、しばらくは東京で働きました。
地元に戻って本格的に家業を継ぐ前に東京で勉強できることはないか、父に相談しました。
簿記や営業、経理など、学ぶべきことは分かったのですが勉強する時間がない。初めて入社した会社を離れ、ある商社に転職しました。
日中は仕事をこなし、会社を出たら資格取得のための勉強をしていました。
いざ、地元に帰るとなると不安も少しありました。
家業を継ぐにせよ、地方で全国の企業とやり合うことができるのか。
センスや情報でも常に最先端でいたいと思うが、地方ではそれができないのではないか。
競争に負けてしまうのではないかという不安がありました。

実際にUターンしてどうですか、これからの目標や長岡への想いをお聞かせください

何でも積極的に自ら行動すれば、情報もスキルも都会に劣ることはありません。
県外でのビジネスも新幹線や交通網も充実していますし、距離的な制約は感じません。
東京で生活していたことも現在に生きていると思います。
私の仕事は包装の設計・製造販売です。
あらゆる物・商品を安全に運搬するための包装を設計し、形にします。
人の目に触れることはあっても目立たない存在ではありますが、自分がデザインした包装材が全国各地に商品を運んでいると思うと誇らしいですし、携わったお客様から感謝の声を頂くことが支えになっています。
お客様の要望に応え、1人で初めから終わりまでスムーズに仕事をこなすことができるようになるまで、5年かかりました。
現在10年目になりますが、日々新たな技術やアイディアが生み出され、学ぶことは尽きません。東京にいた時と同じく働きながら勉強しました。
どんなことでも努力しただけ結果は出ますね。いかにやりがいを見出せるかが大きいと思います。
地元長岡は、程よく田舎で程よく都会。
山も海も近くにあって、例えばアウトドアでリフレッシュすることも気軽にできるのがいいですね。
東京と新潟・長岡を比べても不便は感じません。
仕事の話に戻りますが、私たちの仕事は包む商品があってこそ。
地域や地元企業が元気でなくては私たちの仕事が生まれません。
仕事を通じて活性化したいですね。
これからの世代、若い力にも期待しています。
私のように一旦は地元を離れても、戻って来て頑張ろうと、地域を盛り上げたいと思う人は少なくないはず。
どんな分野でも努力や培った発想は力になります。
専門や選考で学んできたことはあまり問いません。
自信に繋がるような、これだけは誰にも負けないという「芯」を持っている方、私たちの仲間になりませんか?

プロフィール

長岡市福住出身。大学進学で上京し卒業後、東京のアパレル会社に就職。
ビジネススキルを身に着けるために他の会社に3年間勤務した後に退職し地元に戻り、父の経営する会社に入社。

【インタビュー日:2015年3月9日】