歴史 三国志

三国志の夏侯惇とはどんな人物?活躍や人柄について解説

 

この記事では下記ポイントについて解説します。

 

ポイント

夏侯惇の基本情報

夏侯惇の活躍した内容や人柄

夏侯惇の逸話の真偽

 

三国志が好きな人にとって必ず聞いたことがある魏の武将『夏侯惇』について詳しく知りたい人も多いのではないでしょうか?

 

知名度の割に有名な逸話が少なく、夏侯惇って活躍したの?と疑問が浮かびますが、曹操が最も信頼した武将として有名です。

 

そこで、今回は夏侯惇について詳しく解説していきたいと思います。

 

三国志の夏侯惇の基本情報

 

姓名 :夏侯惇(かこうとん)

字  :元譲(げんじょう)

生没年:? ~ 220年

所属 :魏

 

魏の曹操、夏侯淵とは従妹にあたり、生涯を通して夏侯淵と共に曹操に仕えます。

 

目立った武勲はあまり無いが、曹操から最も信頼された配下と言われています。

 

実際に曹操は夏侯惇に対して「不臣の礼」という配下として扱わない待遇を行っており、曹操と同じ馬車に乗ることや寝室に入ることを許された唯一の武将です。

 

実際、寝室で曹操がこの世を去る時、夏侯惇は隣にいたという説が有力です。

 

ここまで曹操に特別扱いされましたが、夏侯惇は主従の関係をしっかりつけるべく、曹操に官位を求めて「前将軍」の位を拝命しています。

 

夏侯惇の活躍や人柄

 

では、夏侯惇の活躍や人柄について下記にまとめます。

 

激しい気性の持ち主で有名

 

14歳の時、夏侯惇の学問の先生がある男に侮辱され、夏侯惇は侮辱した男を殺しています。

 

このことから夏侯惇は激しい気性の持ち主と言われていました。

 

戦で一番得意なことは殿

 

夏侯惇は実は勝ち戦より負け戦の方が多く記述が残っています。

 

その中で、夏侯惇は撤退戦や負け戦で軍をまとめ上げて帰還させる能力が高かったと言われてます。

 

三国志のゲームだと夏侯惇は武力も高めに設定されていますが、前線で戦うよりも後方での実務の方が得意だと思われます。

 

人気の高い武将であることから多少強めに設定されているのでしょう。

 

負け戦の方が多い理由として相手が強大であることが多く、仕方ない部分があったと言えるでしょう。

 

民衆想いの武将

 

夏侯惇は贅沢をしない武将でした。

 

お金は貧しい人々に配り、現場で治水作業したり、性格は清潔で慎ましやかでした。

 

夏侯惇のお墓には埋葬品がたった一振りの剣しか無かったことは有名です。

 

夏侯惇の逸話の真偽

 

夏侯惇の有名な逸話の真偽について解説します。

 

射抜かれた左目を食べた?

 

夏侯惇で一番有名な逸話でしょう。

 

親からもらった体だという理由で左目を食べたというものです。

 

残念ですが、こちらは三国志演義の創作となります。

 

夏侯惇は呂布との戦いで左目を矢で射抜かれましたが食べてはいません。

 

これ以来、夏侯惇は「盲夏侯」とあだ名で呼ばれるようになりましたが、それを大変嫌い、鏡を見るのも極端に嫌うようになったと言われています。

 

曹操が亡くなった後、後を追うようにこの世を去った?

 

真実です。

 

曹操が亡くなった後、曹丕が魏王を継いで夏侯惇を大将軍に任命しました。

 

しかし、その数か月後に病に倒れてこの世を去っています。

 

このことから夏侯惇は曹操の後を追うように去ったと言われています。

 

夏侯惇は曹操が最も信頼した忠臣

 

三国志の中でも曹操はいろいろな媒体で劉備の敵、悪役として描かれることが多いです。

 

そんな曹操が最も信頼した武将が夏侯惇だったのです。

 

きっと曹操は夏侯惇を配下ではなく友人として接したいと思っていたのでしょう。

 

そういった側面もある為か、様々なゲームで夏侯惇は魏の代表的な武将として描かれており、かつ人気の高い武将となっています。

 

夏侯惇の活躍の有無に関しては賛否両論別れるところではありますが、曹操が最も信頼する程の武将であったことは確実であり、有能であったと言えるでしょう。

 

夏侯惇が生涯を通じて仕えた主君、曹操についてはこちらの記事をご覧ください。

 

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